時代考証
「先生、ここの部分の描写がおかしいですよ」
小説家の原稿を読みながら、編集者が言った。
「あれ、そうかな?」小説家は首を傾げた。
「主人公が牛乳を飲むシーンですが、牛乳はほとんど流通していません。稀少で手に入れるのは困難だと思われます」
「そういうものかな。でも、小説はあくまでフィクションなんだから、少しぐらい事実と違っていてもいいんじゃないかな?」
「ダメです。検索すれば、いい加減な描写はすぐにバレてしまうんです。突っ込みどころは減らしておくにこしたことはありません」
出版社の小さな会議室で、年配の小説家と若い編集者が打ち合わせをしていた。
「分かった。君の言う通りに直しておこう」
「ありがとうございます。あと、ここの卵料理の描写もいただけませんね。卵は高級品です。主人公は富豪ではなく、ただの一般人なんですから、注意してください」
小説家は苦々しく笑った。
「分かったよ。ついこの間まで、牛乳も卵も普通に安く手に入ったものだから、いまだに受け入れがたくてね。現代を舞台にした小説を書くだけで、こんなに苦労するとはね」
「仕方ありませんよ。5年前とその後では、世界の食料事情は全くことなりますから。世界の人口が150億人を超えたあたりから、世界中で食糧不足が生じて、世界中で餓死者が多発していますから、毎日米と大豆ばかりとは言え、生きていられるだけでもありがたいことです。この国でも卵や牛乳なんて、超がつくほどの高級料亭でも抽選で提供している始末ですからね」
「全く、寂しい時代になったな」