ショートショート工房

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貧乏神

 ある日突然、俺の小汚いアパートに、小さな薄汚い男が現れた。

「誰だ、お前は?」

「誰って――貧乏神だよ」男はにやりと笑った。黒く汚れた歯がむき出しになった。

「ふざけるな、不法侵入者。出て行けよ」俺は貧乏神に紙くずを投げつけたが、紙くずは男を素通りして床に落ちた。俺は目を丸くした。そのあとボールペン、イヤフォン、ワイシャツなど目に留まったものを片っ端から投げつけたが、全て素通りした。貧乏神かどうかは知らないが、少なくとも人間ではないようだ。

「残念、そんなことをしても無駄だ。ワシが誰にとりつくかは、ワシ自身が決めることだ。お前に選択権はない」

「何だって? なんで俺なんだ」

「お前は貧乏くさいからな。この部屋もろくに手入れされておらず、居心地がいい。しばらくはお前のところにいることを決めたよ」

 俺は貧乏神を睨みつけながら、歯ぎしりした。確かに俺は安月給だし、ここのアパートもこの一帯では最低の家賃だ。

「貧乏くさくて悪かったな。しばらくってどのぐらいだ?」

「人間の時間だと七、八十年かな。ワシとしてはちょっとした夏休みぐらいだ」

「俺にとっては一生分の時間だよ。本気で言ってるのか?」

「そうだ。まあ、貧乏はするし出世はできないし、ろくな人生にならないと思うが、よろしく頼むぞ」

 俺は激怒して貧乏神を殴りつけたが、こぶしは空を切り、俺は派手に転倒した。貧乏神の高笑いが、部屋にこだました。

 

 男が貧乏神だというのは本当だった。それからの俺の日々は地獄だった。財布を落とすわ、空き巣にはあうわ、怪我をして入院する羽目になるわ、勤めていた会社は倒産するわで僅か1か月足らずで俺は無一文となってしまった。もはや来月の家賃を払える貯金すらなく、俺は少ない荷物をまとめてアパートを出ることになってしまった。

「お前、これからどうするんだ?」貧乏神がニヤニヤしながら聞いてきた。

「とりあえず、ネットカフェに泊まって、日雇いの仕事をさがすよ」

「大変だな」

「誰のせいだと思ってるんだ」俺は怒鳴った。

貧乏神はどこ吹く風という表情だったが、「一つだけ、ワシと縁を切る方法があるぞ」とだけ言った。

「何だって。どうすればいいんだ?」

「ワシ以外の神にとりつかれればいいんだ。そうすれば、ワシは出ていかざるをえない」

「なるほど」

「ただ、神様なんてそうそう会えるものではないぞ」

「やってやる。お前と縁を切るためなら、俺は何でもやってやる」

 俺は血眼になって神様を探した。毎日路上を何十キロも歩き回り、時には排水溝や空き家までのぞき込み、時に警察に職務質問されながらも、ひたすら探し続けた。

 ついに明日の食費すら尽きるころ、ようやく俺は身なりの綺麗な神に巡り合うことができた。

「すみません、失礼ですが、あなたは何の神様ですか?」

「名乗れるほどのものではございませんよ」スーツをビシッと着込んだ、上品な紳士は朗らかに言った。「しいて言えば、解放の神といったところでしょうか」

「すばらしい」と俺は言った。「ぜひ、俺にとりついて下さい」

「いいのですか。今まで、とりついて欲しいといわれたことなど初めてです」

「もちろんです」俺は大きく頷いた。「おい、貧乏神、これでお前ともお別れだ」

 貧乏神は「せっかく居心地がよかったのに、残念だよ」と言い残し、去っていった。それを見て、俺は満面の笑みを浮かべた。

「さて、解放の神、これからよろしくお願いします」

「ええ、短い間ですがよろしくお願いします」

「短い間?」俺は首を傾げた。

「ええ」紳士は屈託のない笑顔で笑った。「何か誤解があるようですね。私は人間を下らない人生から解放する神、いわば死神ですよ」